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ソーシャルフィルム株式会社・新井博子さんインタビュー

映像制作をソーシャル化したい。アイディアを形にし、チャレンジして行くことを目指して

投稿日:2018.08.20

今回はCREEKSの会員さんである新井博子さんをインタビューしました。
新井さんは、CMディレクターとして広告映像制作に従事して約20年、160以上のCMを制作しています。長野に来るきっかけとなったのが、長野県が企画する「おためしナガノ」という制度。
「おためし」で長野県に住んで、仕事をしてみようというコンセプトに惹かれ応募したそうです。
「地域で映像をソーシャル化する仕組みづくり」ができないものか。
そのアイディアを元に、スマートフォンを活用した映像クリエイティブ・プログラム「 studio creeks」を立ち上げ、現在は、
映像を通して長野の魅力を発信する作品づくりを受講生の方々と行っています。
「アイディアを形にしてチャレンジして行く」そこにはどんな思いがあったのでしょうか?早速伺ってみました。

ーー普段、どんな仕事をされていますか?

広告映像のディレクターをしています。CMディレクターを行っていると言うとわかりやすいかもしれません。

ーーーいろんな職業があると思うのですが、どうしてCMディレクターという仕事を選んだのですか?

もともと、ビジネスに全く興味がなくて大学は女子美術大学芸術学部の油絵科を専攻して、毎日絵ばかり書いていました。笑
そんな大学生生活をしていたのですが、先輩が就職時期の時に、CM制作プロダクションに受けているという話を永遠と聞かされたことがありました。先輩がその夢を追っている話をしている時、すごく楽しそうに話していたのが懐かしいです。
当時の時代背景も影響していたのかもしれません。

なぜなら、就活時期がちょうどバブル時期でCM制作費がかなりつく時代でした。予算をたくさん使って最先端の映像技術を取り入れて映像を制作していける。そういう部分も魅力のひとつだったのかもしれません。
先輩はその時、大手広告代理店の子会社のプロダクションを受けていて、最終試験でCMのロケハンをするという内容。その話を聞いて「映像制作面白そうだなー」と漠然に興味を持ち出したのがきっかけです。ただ当時は、話題として先輩の話を聞いていたのですが、いざ自分が就活時期になった時に、CM制作プロダクションを受け、迷うことなく入社してしまったんです。笑

自分の作品集を10、20と貯めながらキャリアを積んだ日々

ーーもともとは絵ばかり描いていたのですね!びっくりです。CMディレクターという業界に入ってからは、どうやってキャリアを積んで行かれたんですか?

企画演出部というところにいました。仕事としては、1プロジェクトに対して毎日ひたすら50案とか企画を出し続ける作業です。夜の11時にMTGが始まって、朝まで企画出し。夕方はその宿題を持って出社するという働き方をしていました。

競合プレゼンなどで、1000案に1つ自分の企画で仕事が取れることがあり、そのときにディレクターをやらないかとご褒美手にプロデューサーから声がかかることがあります。一回やっても個人の実績に繋がります。そうやって自分の作品集を10、20と貯めながらディレクターとしてのキャリアを積みました。

ーーなるほど!キャリアを順調に築いていく中で、なぜフリーのCMディレクターの道へ進んだのですか

映像ディレクターは10年以上経験を積んで作品履歴がたまると、業界的に独立する流れがあります。当時すでに会社勤め14年目ということもあり、違和感なくフリーCMディレクターになりました。
また、「常に成長できる環境に身をおきたい」というのがあり、会社から学びたいと思っていたことは全て学べたと思っていたのもあって独立に踏み出したこともあるのかもしれません。

自分の映像制作スキルを社会のために役立てることはできないか。NPO法人PVプロボノ設立へ

ーー独立後は自分の仕事とは別にnpo法人を設立されていますよね。どういう経緯だったのでしょうか?

2011年東日本大震災をきっかけに、「自分の映像制作スキルを社会のために役立てることはできないか?」と考える日々が続きました。当時、映像制作者が自分のスキルを生かしてボランティア活動(プロボノ:自分の専門性を活かしたボランティア活動)をするための中間支援団体がなく、だったらと個人的なプロボノ活動を始めることにしました。

まずは復興支援として福島いわきで行われる復興イベントのPVをつくり、その後の個人的な映像活動を約2年行いました。そのときの経験を活かし2013年にPVプロボノを創設。はじめの1年は、支援する課題を地域活性に絞り、活動クリエイターも20名限定にして募集をして仲間を集めていきました。今年は運営体制の見直しにより活動休止していますが、現在100名以上のクリエイターが登録をしていて映像の実績も50作品以上となっています

ーー新井さんはNPOの活動をしながら、会社設立もされています。ソーシャルフィルム株式会社はなぜ作られたのですか?

2014年ソーシャルフィルム株式会社を設立しました。映像を活用した様々なサービスを通して人と人をつなげ価値のある映像コミュニケーションを生み出し育てていくことをミッションとして活動しています。映像がもっとソーシャル化していけばいいいなと思っています。映像のポテンシャルを社会課題を解決すめためのツールとして活かしていく仕組みづくりをしたいです。

地域で映像をソーシャル化する仕組みづくりをしたい。

ーー長野に来るきっかけは何から始まったのですか?

長野県松本市生まれ、東京育ち。長野にはもともと所縁のある地でした。
10年前松本に両親の隠居生活をするための家が建ってからは松本、長野に足を運ぶようになっていましたね。

CMディレクターとNPO法人の運営で、アイディアを形にするチャレンジが1〜2年できない状態が続いていました。ただアイディアは常に湧き上がるので自分の中に溜め込んでいる状態。そのアイディアのひとつが「地域で映像をソーシャル化する仕組みづくり」ができないものか、というものでした。その頃偶然「おためしナガノ」という存在を知り「地域で映像をソーシャル化する仕組みを試してみたい」という欲求が生まれて応募をし、無事採択いただくことができました。

おためしナガノ間中には、「長野の一般市民の中でどれだけ映像制作ニーズがあるのか?」を確かめるべく映像制作のイベントを行いました。松本・長野でイベント行い、想像以上に映像制作への興味関心が高いことを自分の肌で感じることができました。継続して長野で映像制作の技術を広めるために、ご縁を大切にしていきながら頼まれたことをやって行きたいと思います。

ーー今後の展望はどう描いていますか?

東京をメインにして現在仕事をしていますが、今後は東京でやっている仕事の三分の一を長野に当てていきたいです。今はまだ長野での2拠点の第一歩を踏み出したといったところですね。

あとは、1〜2年かけて長野で信頼関係を築いていけたら、将来的には映像制作者もソーシャル化していく仕組みづくりを形にしていきたいた思っていて、長野市にスタジオを作って東京のクリエイターを集めながら、映像発信基地を作ったりなどできるといいなぁと妄想しています!

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