利用案内はこちら

進路に迷ったから休学してみた~水戸和義の場合~

社会のために働く私ではなく、社会と関わりながら「私」が活き活きとできる活動を求める私。

投稿日:2019.09.04

こんにちは!tsunagnoアルバイトの水戸和義です。

皆さんは、進路に迷ったことはありませんか?シェイクスピア『ハムレット』の中では「人生は選択の連続である」と言っています。私たちは常に小さなことから大きなことまで常に選択しています。その中でもとりわけ少し未来のこと、すなわち「進路」について大いに悩みます。

私は大学生をやっていますが、大学3年生の冬、進路に迷ったわけです。そして「休学」という決断をしました。私はどのように進路に迷い休学に至ったのか、休学中どんなことをしていたのか、そして今どんなことを考えているのか、そんなお話をさせていただきました。

「教育」「国際協力」「まちづくり」

私はどのように進路に迷い休学に至ったのか。

大学3年生の冬、多くの学生が進路先を求めて就職活動を始めて行く中、私はこの状態の私のまま進路を決めてしまっていいのだろうかと感じます。この当時の私は、やりたいことの興味が散漫していました。特に「教育」「国際協力」「まちづくり」の3つです。高校生までに興味を持つようになった上記の事柄を、大学生になって実践をしてきました。しかし、「まちづくり」だけは大学生になって興味を持ち、実践を伴って何かできたかというとそうではなかった。だから、時間を作ってこの「まちづくり」というものをもっと知りたい。実践を伴っての検討をしたうえで進路を決めたいと思い休学を決断します。もう少し具体的にそれぞれ見ていきましょう。

教育」に興味を持ったのは小中学生の時です。私は小学生のときは児童会役員を、中学生の時は生徒会長を務めていました。いわゆる「いい子ちゃん」だったのです。児童会役員をやったり生徒会長をやったりしていると「教師」達との距離が近くでした。私にとって良い先生にも出会ったこともあり、自然と「この人たちみたいに働きたいな」と思うようになりました。それが「教育」というものに興味を持ったきっかけです。

そうして、大学生になって信州大学の教育学部に入学するわけですが、そこでは様々な学校を視察させていただいたのももちろんですが、大きな経験として教育実習を経ました。小学6年生のクラスに4週間入りました。個性の強い子どもたちばかりで、決してまとまりがあるとは言い切れない(まとまりがあった方がいいのか論は置いておいて)クラスで授業を作るのは容易なことではなかったです。「子どもたちが夢中になってくれるような授業をするにはどうしたらいいのだろうか」それだけに絞って授業を考え、子どもたちを見続けた結果、エレキギターを持ち込んで音楽やったり、パワーポイントを駆使して、図形の応用問題をカードゲーム風にして解いてもらったり、予想をこえて夢中になってくれてすごくやりがいを感じました。しかし、子どもたちと共に生活して授業を作ることにやりがいを感じたには感じたのですが、教師になりたいかはどこか別の話な気がしたのです。生活の自由度が高くないというか、自分の生活を投げうってまで力を注げるのか・・・。いや~自分の時間ほしいよな、と思って、実践を伴って検討した結果、教員になりたいとは思えませんでした。

国際協力」に興味を持ったのは高校生の時です。東南アジアの国々農業支援を行っている国際NGOが母体の少し変わった私立の高校に入学しました。そこの学校の修学旅行は、北海道だとか京都だとかではなくフィリピンへ2週間の研修旅行だったのです。NGOのトレーニングセンターでの視察を行ったり、現地高校生の家にホームステイして共に高校に通って授業を受けたりと思っていたより充実な日々を送ります。初めての外国や南国の独特の気持ちよさに浸り、「フィリピンいいなぁ」と思うわけです。しかし、最終日程で首都マニラを観光しに行ったとき、大きなショックを受けます。そこには高層ビル群が立ち並ぶすぐ横に掘っ立て小屋のような家たちが密接してあったのです。

「何だ、この光景は。」目に見える生活格差に大きなショックを受けました。外部からの働きかけでまちを変えなければならない。まちを変えるには人の意識を変えねばならない。そう思い教育分野での国際協力を高校生ながらに志します。

大学生になって、フィリピンだけじゃなくて他の発展途上国も見てみたいと思い、インドネシアとネパールに2週間ずつ大きいバックパックを担いで単身、視察兼旅行に行きました。

インドネシアの公立小学校を見学して驚きました。1枚目の写真は算数の立方体の展開図の授業です。(オレンジのやつは立方体にはなりませんが・・・)その後すぐに同じ教科書を使って図工の授業に入ります。何が言いたいかというと、科目横断的に学ぶように設計された教科書を使っているのです。また、高校を見学させていただいたら高校生が英語で論文を書いているではありませんか。「インドネシアの教育、思っているより全然進んでいるじゃん!!」

「いや、インドネシアは発展途上国の中でもぐんぐん発展している国だったんだ。もっと発展が遅れている国に行こう。」と思い、ネパールに行きます。田舎の学校を見させていただきましたが、教育環境は言葉を選ばず言えばひどかった。日本の普通教室くらいの広さに100人入れて授業をする。とうてい机と椅子の数は足りない。校長先生にインタビューすると「政府が地方にお金を回してくれないんだ。だから、後者も修理できない。机と椅子も足りない。」ネパールの国の政治が安定してきたのはつい最近のこと。何なら、まだ安定していない。不安定な政治基盤の上で教育は安定するわけがない。これは外部からの支援が必要だと感じました。

しかし、ホームステイした村の人々は幸せそうだったのです。しっかりとした根拠を見つけたわけではありませんが、そう感じてしまいました。この幸せを外部から、すなわち日本人の僕が支援をしてしまったら、ネパールは日本のような発展モデルをたどってしまうのではないか。では、日本は、街は発展しているけど幸せか…。そう考えだし、国際協力そのものに疑問を持つのです。

そんな中、大学3年生の夏、ゼミの先生の勧めで高知県の土佐町に行きます。そこでは、都会出身でバリバリ働いていた方だったり、アメリカの大学で研究をされていた方だったりが移住してNPO法人を立ち上げ田舎の町の教育支援を行っていました。その構図が国際協力に似ていることから参考になると考え訪問します。

たまたま行った先で京都在住の独立研究者の森田真生さんの講演会がありました。その講演会の様子を見て驚きました。ホールいっぱいに人が集まり町の年代様々な人が数学者の話に夢中になっている姿がありました。老若男女様々な人が一つのことで夢中になり、緩やかにつながっていることを感じ、「ここにまちがある!」と興奮を覚えました。これを仕掛け、人々を繋げているのは誰か。NPO法人のスタッフの方でした。国威協力との類似性、教育と動詞、それをもってまちづくりをしている。海外ではなく日本のローカルに場所を移しての「まちづくり」に興味を持った経験でした。

さて、これらの3つのことに興味を持ち、大学生になって実践を伴っていろいろと検討したわけですが、まちづくりだけ圧倒的に検討が足りないと気づいたのです。教育実習は4週間、インドネシアとネパールは2週間ずつ、そのほかにも学校視察やJICAの人の講演を聞いたりと勉強していたわけですが、土佐町に入れたのは結局3日間くらいで検討が十分とは言えなかったのです。そのために1年間時間を取って実践を伴って検討をしよう。そのうえで進路を決めようと思い、休学を決意しました。

休学してどうだったか

高知県土佐町で日本のローカルでのまちづくりに興味を持ったわけですが、よくよく考えれば私の故郷、浜松市細江町も日本のローカルではないかと再確認するわけです。そこで浜松市ではまちづくりに関することを何かやっていないだろうかと思い、自分の足で探し、縁あって浜松市市民協働センターと出会います。

行政、民間企業、市民活動団体を繋げ、協働での社会貢献活動をサポートすることを目的とした中間支援組織です(浜松市からの事業委託)。ここにいれば浜松市の多くの団体と関わることができて、浜松市のまちづくりの現状が知れると、思いインターンシップをお願いしました。

結果、関わり方の大なり小なり合わせて30以上の団体と関わりを持たせていただきました。環境問題、防災、キャリア教育、サイクリング、障害者支援、劇団、音楽・・・。福祉から趣味的なものまで、多くの団体がそれぞれの得意ジャンルで、それぞれの想いを持って活動していました。中には実際に活動を見学したり、一緒になって活動したものもあります。山で田植えしたり、廃校で楽器弾いたり、おじいちゃんたちと草刈りしたり・・・。関わったと言えば、まちづくりに興味を持つきっかけをくれた高知にも2か月ほどインターンシップに行きました。

多くの団体に関わらせていただいて、気づいたことがあります。当初の「まちづくりとは何だろう」の僕なりの答えが見えてきました。

まちづくりって後付けなんだ。

どういうことかというと、まちで人々がそれぞれの想いを持ち寄って活動をしている。それがなんだか楽しそうで人々が寄ってくる。そんな光景を見て誰かが「それってまちづくりだよね」って後から解釈する。この順序でまちづくりになっていくんだと気づいたのです。

そう考えると、「まちづくりをしたい」というのは少しおかしな話なのです。あくまで、まちづくりは事実である活動に対しての解釈でしかないのに、まちづくりをするのはどうすればいいかという思考プロセスで活動してしまうとどこかで無理が生じてしまう。

むしろ、大事なのは事実である活動そのものなのだ。その活動自体がいかに豊かであるか、人々が活き活きとしているかを追求することの方が本質的なのだと。結果的に、まちづくりや地域活性化に繋がればよい。どんな活動が良いのか、僕なりに考えたことは社会と関わりながら「私」が活き活きとできる活動である。

結局、休学を通して私は「まちづくり」をやりたいとは思わなくなりました。

私にとっての上記したような活動とは何なのか、それを探究することをやりたいと思うようになりました。それは、人とどのように関わってくか、何で関わっていくか、教育っぽいことなのか、音楽なのか・・・。

まだまだ、探求の旅は終わりません。

他人のために動くいい子ちゃんから、自分のために動くひとりへ

イベント参加者の1人からこのようなコメントを言ってくださいました。

「水戸さんは小中高のころの他人のためにって言って動いてた、いわゆるいい子ちゃんから、休学を経て、自分のために生きようと変容していったのですね。」

私の気づかなかった視点でした。

今の私は、社会のために働く私ではなく、社会と関わりながら「私」が活き活きとできる活動を求める私なのだと。

このイベントは、進路をちゃんと考えようだとか、休学を勧めるものだとか、僕の意見を強要するものではありません。あくまで、僕個人的に何を思っているかの紹介にすぎません。しかし、結果的に誰かの何かに役に立てればと思います。

ライティング アルバイトstaff水戸(現在は高知県在住)

音楽を聴くこと、演奏することが大好き

お問い合わせ

必要事項を入力のうえ、[送信]ボタンをクリックしてください。
個人情報の取り扱いについては個人情報保護基本方針をお読みください。
※は必須項目です。必ずご記入ください。

お名前
電話番号
E-mail
会社名
お問い合わせ内容
Pagetop