利用案内はこちら

建築家として、地域の課題を見つめ、自ら行動を起こすこと。

CREEKS取締役・広瀬 毅インタビュー

投稿日:2018.11.07

ふたりの人物との出会いが〈KANEMATSU〉、そして〈CREEKS〉のきっかけに

ーーその後、2009年に善光寺門前にある古いビニール工場をリノベーションした〈KANEMATSU〉に事務所を構えるようになったんですね。

「〈KANEMATSU〉に事務所を移したきっかけは、『空き家になっている〈KANEMATSU〉の建物を借りてくれる人はいないか』という相談を受けたことでした。まちなかの立地なので、また工場というのは考えにくいし、設備的にもコンセントも照明もないのでオフィスとして貸す場所でもない。難しいと思っていたら、『みんなで借りよう』という話が出たんです。実は僕はずっと市街地に事務所を移したいと思っていたので、ふたつ返事で承諾しました。理由のひとつは、蔵を事務所にしたいと思っていたこと。リスペクトしていて仕事のつながりもあったデザイナーの原山尚久先生の事務所が蔵だったんです。いまでも覚えている先生の作品が、墨絵で描かれた志賀高原のゴンドラリフトのマークのデザイン。すごく格好よくて、東京のデザイナーが作ったと思っていたら原山先生の作品でした。そんな先生が蔵の事務所で仕事をしている姿が格好よくて憧れていました。もうひとつのきっかけは、出版社のまちなみカントリープレスでした」

——まちなみカントリープレスも、もともと善光寺下に事務所があり、かつての広瀬さんの事務所と近かったんですよね。そして、2005年に門前にある倉庫を改修した建物に移転したのですが、その設計を担当したのが広瀬さんでしたね。

「まちなみカントリープレスの編集長だった市川美季さんとは事務所が近所だったことで知り合いました。そして、同社が発行していた雑誌『KURA』の連載企画の延長で2005年にまちなみカントリープレスのオフィスを改修して移転し、1階に日和カフェをつくって、同時期に隣接するぱてぃお大門の仕事も手がけたんです。その時に市川さんが言ったのは『自分たちの会社は社員が20〜30人のそんなに大きい会社ではないけれど、このまちで実際に自分たちが地域にコミットすることのほうが、まちに対するインパクトがある』ということ。『いくら周りから“まちがこうなればいい”と言っていても、実際に自分たちが動かなければ本当にまちは変わっていかないんだ』と話していて、それに大きく影響を受けました。いまは原山先生も市川さんも亡くなってしまったけど、僕はふたりがいたから、いまも長野で活動を続けているという思いもあります」

——設備面で難しいと感じた〈KANEMATSU〉の建物ですが、実際に自分たちで使うことに対しての印象はどうだったのでしょう。

「自分たちのオフィスとしてはすごくいい場所だと思いました。立地も、蔵のような建物そのものもよかったけど、何よりよかったのが、独立して間もない元気な仲間が多くて、みんなで面白がって取り組めたこと。僕はそれまでいろいろなまちづくりや建築士会のワークショップをやってきたけど、長野の人は議論好きだから『こういう場所があればいい』というアイデアはたくさん出てくるのに、ワークショップが終わったあとは何も起こらない。それで、先ほどのまちなみカントリープレスの話にもつながりますが、まちづくりは『何をやるか』を考えるより『誰がやるか』『どうやって続けるか』がすごく大事だと思っていたんです。〈KANEMATSU〉であれだけいろいろなイベントをやって人が集まるようになったのも、あの建物に魅力を感じた人が集まって行動したからです。『こういうまちになればいいと思ったら、自分が行動すればいい』ということを〈KANEMATSU〉のメンバーの動きから気づきました。どんなまちがいいかと思うのは人それぞれですが、自分がこういう建物をこう利用すればきっといいまちになると思ったら、自らやればいい。すぐにやるということがすごく大事なんです」

——その考えが〈CREEKS〉に発展しているんですね。

「〈CREEKS〉では『地域から社会を変えよう、行動する人の集まる港』というタグラインを掲げ、行動することがすごく大事だと考えています。こういう場所をやっていると、いろいろな悩みを抱えつつ動けない人が来ることがあります。でも、そういう人を助けることではなく、実際行動できる人が集まって、考えて進んでいく。その大切さに〈KANEMATSU〉で気づいたので、〈CREEKS〉は自分で動ける人が集まっていくといいなと最初から思っていました」

——そもそも、そんな刺激を受けた〈KANEMATSU〉に事務所を持ちながら、それとは別に〈CREEKS〉を立ち上げた理由は何だったのでしょう。

「〈KANEMATSU〉では当初、メンバー同士でコラボレーションしながらの仕事もしていました。でも、それぞれ仕事が軌道に乗って忙しくなってきていて、 新しい動きが生まれにくくなっていました。同時に、当時コワーキングが流行り出していて面白そうだと思っていたのに、北信地域にはなかった。そんな時に、2004年に僕が改修を手がけたこの〈リプロ表参道〉のビルに空きが出たんです。条件も揃っていたので『自分で動こう』と背中を押された感じでした」

Page: 1 2 3 4

お問い合わせ

必要事項を入力のうえ、[送信]ボタンをクリックしてください。
個人情報の取り扱いについては個人情報保護基本方針をお読みください。
※は必須項目です。必ずご記入ください。

お名前
電話番号
E-mail
会社名
お問い合わせ内容
Pagetop