【イベントレポート】角居’s battle talk「親として子に何を残すか。」
投稿日:2019.03.25
2月27日にCREEKSで開催された角居’s Battle Talk。
コーディネーターはアーティストの角居さん、そしてゲストはCREEKSの代表で、一児の母でもある古後理栄さん。
テーマは、「親として子に何を残すか。」
「なかなか深淵なタイトルだな」と、古後さんと一緒にCREEKSを運営する広瀬さんの一言からBattle Talkがスタートします。
自分に合ったライフスタイルは自分で作る
「シェアオフィスの運営、建築の仕事、中山間地域の活動、どれをとっても古後さんの場合、財産として残すというより、”未来の社会をどう形作るか”といった立ち位置で生きているのかなと感じます。
その活動一つ一つを見ると、子どもがこれから迎える社会をどうイメージして、今何をしなくてはいけないかという着眼点で動いていますよね。
これから人口減少社会が急激に訪れる中、なんとかここから先にソフトランディングしていかなくては渡せない。そのソフトランディングの仕方を模索中というような印象もあります。そもそもCREEKSを立ち上げたのはなぜですか?」
と角居さんの質問に古後さんがこれまでのことを振り返ります。
「最初一年は息子を保育園に預けて働いていました。でもね、働き方が不自然だと思うようになって・・・。保育園に預けて仕事をしている時、仕事自体は楽しいし集中して時間がたつのすら忘れてしまうほどでした。
保育園はお願いすると19時まで預かってくれたので、その頃の生活は、息子を迎えに行って、それから帰って20時ぐらいに寝るとなると、とにかく”わーー”っという感じでバタバタと時間が過ぎて朝が来るという繰り返し。
その生活が、すごく不自然と感じたのです。」
世間一般的に考えるとお勤めのお母さんは多分そのスタイルで生活している人も多く、そこに不自然さを感じていないような気がしますが、古後さんはどこに不自然さを感じたのでしょうか。
「多分、もとから自分が納得いかないものはしたくない性格だというのもあります。働くのが嫌いではなく、むしろすごく好き。でも、実は子供を”こどもの森幼稚園”(長野市飯綱高原にあり、自然の中での幼児教育に力を入れている)に入れたいという希望もあったのです。その幼稚園は15時までなので、それまでの生活スタイルでは到底実現できない。ちょうど、幼稚園スタートの1年前くらいにCREEKSを立ち上げたので、15時には仕事を終わりにするというライフスタイルに変えました。
早く仕事を切り上げて、夜20時くらいに子どもが寝るまでを一緒に過ごす時間に充てました。まあ、自分も同じくらいに寝ちゃうのですけれど(笑)
だから、朝は3時に起きて6時くらいまで仕事をしてそこからまたお母さんになるという、朝型のライフスタイルですね。」
建築の勉強をしていた大学時代から、いずれば建築の仕事で独立したいという思いがあったという古後さん。実際に独立することで、自分らしいライフスタイルを作っているようです。
好きな建築の仕事をしながら子供との時間も大切にしたいと古後さん
「仕事も子育ても全部を思うようにしたいと思っていても、そんな環境に居られる人はなかなかいないから、古後さんの生き方をもっとアピールしてみたら良いのではないですか?そんな古後さんの生き方が力になるという人もたくさんいる気がします」
と角居さん。
「独立して働くというスタイルに向き不向きはあると思いますが、発信することが誰かの役に立つこともあるでしょうね。ただ、SNS等で発信されている「新しい働き方」は良い面ばかりが出ているようにも感じます。実際は違っていて、大変なこともたくさんあります。それがなかなか伝わらない。
もちろん良いことを求めてそのために努力して乗り越えますけれど、その乗り越えるべきことがなかなか見えていない人が多い。
CREEKSにも会社辞めたほうが良い生活ができるのではないか、といった思いで、いろいろな方が相談にきますが、辞めて独立するということは、自由ではあるけれど責任も重くなるというところをわからない、想像できない人が多い気がしますね。」
たしかに、経験のないことは想像できないものかもしれません。それを教えてくれる古後さんの経験は時に耳が痛いかもしれませんが、的確なのではないでしょうか。
「会社を辞めたいという人は、何かが嫌になって、そうなると嫌になったところしか見えなくなります。辞めたいと思う今の会社や環境の中にも良い面は絶対にあるはずなのに、そこに目が向かないで、どうしても嫌な面に目が行ってしまう。そうすると、たとえ新しく環境を変えてもまた嫌な面を見つけてしまったりすることもあります。だから、もっと良い面を探してほしいなと思います。」
何をするにも絶対に良いことと悪いことの両面があり、悪い面をみればそれだけになってしまうーーーー大人が様々な経験と葛藤から学ぶこと、子供たちにも伝えていきたいですね。”働き方”という切り口から、子育ての教訓にも通じる話でした。
物事に対して、どの面を見るかが大事との話に耳を傾ける
自分の人生を歩むための力
「今の社会を見ると、子供のままで成長が止まっていると見受けられる人が多くいるように思います。本当の意味での成長過程が必要なのに、今の世の中はある意味、社会実験をしているような感覚。”ほめて伸ばす”という子育て論も【ほめて伸ばすために大人はこう言っているのだな】と子供の方が理解してしまっている。」と古後さん。
最近目にする、SNSで炎上するようなバイトテロ※ に及ぶ人たちは、この社会実験的な中で自分の人生を歩む力をつけられてこなかったのではないかと、二人の話は続きます。
※バイトテロ・・・主にアルバイトなどの飲食店や小売店の従業員が、勤務先の商品(特に食品)や什器を使用して悪ふざけを行う様子をスマートフォンなどで撮影し、SNSに投稿して批判が殺到する現象を指す言葉
「バイトテロも、”話題を作れる”ということは理解していても、まったくもって”自分の人生が豊かにならない”ことを理解できていない。人生って8割9割は嫌な事で、それがあるからこその1割の良いことが生きてくると思うのです。今の小学生とかは、すごく美化されていますよね。」と古後さん。
「生きることと相対する”死”に対しても、今の子供たちは自分たちの頃とは考え方が違う。生きることに疑問を感じることは今も昔も変わらないかもしれないけれど、時代や環境が違う。大きな社会実験に巻き込まれて自分の人生を歩んでいない人も多いのじゃないかな。子供には自分の人生を歩む力を身に着けてほしい。そのためには、もっと雑多な環境を作る必要があるんじゃないかなと感じます」と角居さんも語ります。
雑多な環境をあえて作る
CREEKSでは、大人たちが集まっているところに高校生も混じって交流を図る光景が見られることもあるそう。そんな場所となっている「tsunagno(ツナグノ)」を作った経緯とは?
様々な年代の人が集まり交流する場 tsunagno
「今の時代、『当たり前』という尺度がどうも限定されすぎている気がします。
例えば、子どもが生まれて驚いたことのひとつが、哺乳瓶の消毒。
今のお母さんたちは当たり前のように哺乳瓶を殺菌剤のようなもので洗浄します。もちろん、体に害がないものだとは思いますが、私たちの親の時代にはそんなものはありませんでした。でも、今はその消毒をするのが当たり前になっている・・・
それ自体がいけないというのではなく、ものすごく刷り込まれていて、誰もが当たり前として認識している。
他にも知らないうちに周りから押し付けられていることはたくさんあると思います。
そういった影響が子供たちにも及んでいて、彼らも一つの価値観に集約させられている気がしてならないのです。そんな窮屈な世界に生きていることが、いじめに繋がるケースもあるのではないかとさえ感じています。
それを解消するためには価値観の違う人が混じり合う場面を作ることが大事かなと思います。そこで、”AKICHI”というプロジェクトをCREEKS主催の起業家プログラムの中で提案しました。それがツナグノの前身ですね。」
異年齢、異業種など「いつも」とは違う人との出会いは貴重
“AKICHI” は、アニメ・ドラえもんに登場するような空き地のイメージだそう。
そこでは、学年の違う子供同士の遊びや近所の大人との関わりなどから、いろいろなタイプの人がいることも学べたはずと話します。
「放課後さえも管理され、閉ざされた狭い社会で過ごしている子どもが多くいる現代の中で、もしそこが自分に合わない時、他の世界が無ければ困るのではないかなと感じるのです。だから、昔は自然にあった場所も今では、意図的に作らないといけない。
そんな思いからツナグノが生まれました。」
2時間にも渡った熱いトークバトル・・社会環境へとテーマは広がり、最後は「今は雑多な環境がなくなっている。昔は雑多な環境だからこそ色々鍛えられた面もあると思う。」という角居さんの締めくくりに。
お二人の話の中で
“これからの未来の家族の形って、血が繋がっている家族のことではない。自分でつくるもの” という考え方があるという部分も印象に残りました。
シェアオフィス、シェアハウスもその一つ。いろいろな人が集まるとしても、同じ思考でフィルターにかけられた人が集まるだけではなく、多様性を持つ環境の中で様々な人々が集い、そこから生きる力をつけていく。そんな社会を子供たちに渡せるよう、私たち大人はもっと本質の部分で語り合う今回のような機会が増えたら良いなと感じました。
〜 角居さんからのメッセージ 〜
古後さんとの対談を終えて。
普通に考えたら子の事を考えない親は居ません。
なのに世の中に子に対する凄惨な事件が多発するのは親が大人としての人生を歩んでないからではないでしょうか?
一大人としての人生を歩めないのは社会が本当の意味での多様性を容認していないからではないでしょうか?
古後さんと話し合う中で「雑多」というキーワードが出たのは“良し悪し”とか“正義と悪”とか固定された判断基準や、上っ面だけの“ダイバーシティ”という言葉に対するアンチテーゼだと思っています。
自分が自分自身の人生を歩むことの困難や好き嫌いを超えて容認する度量を抱えて生きていかねばこれからの社会が立ちいかなくなるという危惧に対し「雑多な環境をあえて作る」という意識はわかりやすい指針となる気がしました。
子供や子供を取り巻く環境を話す中で自分自身のこれからの生き方を考えるいい時間を作っていただけたと感じています。 -----角居康宏
ライター 久保田まゆ香
1985年生まれ。保育士資格を取得しておきながらも、金融機関や保険業などで社会人を経験。現在は、2歳の息子を育てながら、ライターとして仕事をスタート。先輩の元で学びながら執筆中。